母なる大地の子どもたち


“母なる大地の子どもたち”は、フィリピンの首都マニラ首都圏北部に位置するトンド地区にあるゴミ集積地「スモーキーマウンテン」で生まれ育った子ども達で構成された子ども民族舞踊団です。

来日する舞踊団の団員は、厳正なオーディションと様々なトレーニングを経て選抜された子ども達によって構成されています。「母なる大地の子どもたち」の団員は、 フィリピン国立劇場専属民族舞踊団、ROFG (ラモン・オボサン・フィリピン伝統民族舞踊団)の指導の元、ダンスと音楽の歴史や基礎的レッスン。 打楽器の演奏や歌唱についての音楽的技能。さらには環境問題、ライフマナー、情報伝達技術など多くの事を学びながら、内外で多彩な公演活動を繰り広げています。 そしてその活動を通じて、民族と文化、自然との共存、そして次世代へ繋ぐ豊かな世界作りを提唱し続けています。

かつて「母なる大地の子どもたち」の団員は、ゴミ集積所から換金できる資源ゴミを拾い生活の糧としていました。 貧困故に教育の機会を奪われた子どもたちでしたが、様々なコミュニティや行政の支援の元、地域コミュニティの代表として活動するようになったのです。 そして、多様な歴史と文化を持つフィリピン各地の伝統的な歌と踊りを通して、フィリピン独自の精神性、豊かな文化と自然を守り続けることの大切さ、 また、スモーキーマウンテンに見られるような環境破壊への警鐘を鳴らし続けています。

「母なる大地の子どもたち」は『Cry of Mother Earth(大自然のなげき)』と題された第一回目の公演をきっかけに一躍脚光を浴び、国内外で 大反響を巻き起こしました。 その後にROFGの主宰者 Ramon Obusan(ラモン・オボサン氏)が正式に芸術監督に就任し、 Ramon Obusanの直接的な指導の元、本格的なグループの活動を始めました。 フィリピン国内での公演は勿論、オーストラリア、ドイツ、アメリカなどの公演では、舞踊団の高い芸術性とメッセージ性により絶賛を博しました。 日本に於いても幾つかの地域団体や学校などの支援の元、大小の来日公演や日本の子どもたちとの交流を行ってきました。 特に2005年には、愛知万博の主要イベントの一つである、「愛・地球メッセージイベント」に出演、EXPOホールにて単独公演を行い多くの観客を魅了し高い評価を得ました。 その後の関西公演も大成功をおさめました。そして2006年。日本フィリピン国交正常化50周年の記念すべき年に、再来日公演が決定しました。

若々しい躍動感と自国の文化に対する高い誇りを持ったフィリピン子ども民族舞踊団のステージは、フィリピン各地の伝統舞踊と、民話や今日的な社会状況を織り込んだ創作舞踊で構成されています。 伝統舞踊では、フィリピンの多様で魅力的な文化を忠実に再現するとともに、フィリピンの固有の文化や自然を守ることの大切さを訴えています。 一方、創作舞踊では、豊かな自然に対する人間たちの無謀で無責任な振る舞いに対する嘆きを歌や踊りに込め、より痛切なメッセージを人々に投げかけています。


フィリピン・マニラ首都圏北部のトンド地区に、東洋最大のスラムと称される広さおよそ29ヘクタールの巨大なスラムがあった。

もともとは漁村であったその地区は、1954年、人口増加の続くマニラ首都圏のゴミ投棄場所となり、以来1995年に閉鎖されるまでマニラ市内のゴミが運び込まれ続け、21ヘクタール、高さ30メートルのゴミの山が出来た。 そのゴミが自然発火して常に、白煙を上げていることから、いつしかその一帯は「スモーキーマウンテン」と呼ばれるようになった。

ここには、およそ3000世帯、2万1千人を超える人々が生活していた。住民はマニラからトラックで運ばれてくるゴミの中からガラスビン、アルミ、鉄などの換金可能なゴミを拾い、それをお金に換えて生活の糧としていた。
1994年フィリピン政府は、ゴミの廃棄禁止に踏み切り、1995年にはスラムを撤去し「スモーキーマウンテン」の再開発に取り組み、住民は政府が建設した仮設住宅に移住した。 03年12月にはスモーキーマウンテン跡地に本住宅が完成し、住民の大半は仮設住宅から本住宅へ移り住むことができた。
しかし、住宅環境は改善されても多くの住民は定職を見つけることが困難であり、現在も隣接するゴミ集積所にて換金可能なゴミを拾いに行く生活には残念ながら変化はみられない。

一方、90年代の初めから、世界各地のNGOが中心となり、政府や行政の支援を受けながら教育支援活動や生活改善活動が続けられており、 リサイクル事業として有機肥料を生産するコンポスト事業や子ども民族舞踊団の結成されるなど、生活改善に向けた成果が上がりはじめている。 ただ、マニラ首都圏の人口増とゴミ政策の破綻により抜本的な解決にはいましばらく時間が必要といわれている。

スモーキーマウンテンの人々ともに現地に居住する、ベン神父は言う「循環型社会の実現を目指す市民を生み出す教育こそが解決の道だ。」子ども民族舞踊団活動は、そんな神父の想いが込められ結成された。 困難な状況の中でも、持続可能な社会実現に向けて市民自らが行動するフィリピンの新しい可能性を実感させる場所、それもスモーキーマウンテンのもう一つの顔だと言える。


ベニグノ・ベルトラン
1946年6月5日生まれ。

「母なる大地の子どもたち」団長。カトリック教会の神父であるファーザーベンは、フィリピン・マニラ市のゴミ集積所「スモーキーマウンテン」で生活する人々の自立支援に取り組んでいる。 世界中の人々に環境問題を考えてもらうために、スモーキーマウンテンに住んでいる子ども達と一緒に、世界各地でスモーキーマウンテンの現状を伝え、一生懸命生きているというメッセージを 込めた公演などの活動をしている。愛・地球博の「市民イベント」の「地球を愛する100人」にも選出された。


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ROFGはフィリピンの舞踊、音楽に特化した文化の保存、恒久化に取り組み34年になる。 研究によって蓄積された、膨大な量のデータをもとに、フィリピンの伝統舞踊、音楽を反映させるようなダンスグループを作ろうと模索していたラモン・オボサンは、 1972年に約30名のパフォーマーと共にROFGを結成した。

34年もの間、ROFGはフィリピン民族舞踊をオリジナルに近い形で披露するを先駆者として、舞踊界に確固たる地位を築いた。 フィリピン国内外に1000名を超えるパフォーマーを抱え、1986年以降はフィリピン国立劇場専属舞踊団に就任している。

国際的な認識が高まれども、ROFGはその誇るべき人々を忘れたことはない。 過去20年間、50もの民族の慣習儀式をROFGが執行した。コ-ディレラ、バゴボ、チボリ、タウスグ、マラナオ、アエタ、タラアンディグなどの地域からのものを含む、20以上のフィリピン舞踊作品では、 その地の正当な動きや衣装にスポットを当てている。

2006年6月9日、文化功労者としてフィリピン芸術院会員(フィリピン・ナショナル アーティスト)に選出された。

2006年12月21日、享年68歳にて急逝。追悼式は同月28日フィリピン国立劇場にて行われ、多くの参列者が別れを惜しんだ。




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